「聖母信仰」に違和感。母親が楽してなにが悪いの巻
よくインターネットの記事で「兼業主婦」VS「専業主婦」のような図式を見かけます。
その中で私が違和感を感じる世論が、
自分の贅沢のために、また楽するために働く主婦はNG。
家計のために苦労して働く母親はOK。
という意見。
例えば、
「家計のために働かざるを得ない母親は仕方ない。でも、働く方が楽だから、とか言ってる母親は有り得ない。こどもへの愛情がないし、そういう母親は躾ができてない」
(某ニュースコメントより一部抜粋)
いろいろ、ツッコミどころがあるのですが。
1 働く方が育児より楽だ、という意見を持っている人が、こどもへの愛情が薄いわけではない
→育児が好きかどうかは単に向き不向きだと思います。これを言ったら、世の男性の半数以上は子どもに愛情がないことになってしまうのでは?
躾うんぬんも関係ないです。
専業主婦と比較すると関わる時間が少ないのは確かでしょうが、主婦の就労と子どもの躾は無関係。たぶん保育園児に対して偏見を持つようになった、なにか苦い経験があるのでしょう。
2 なんであなたが主婦が働くことを「許すか許さないか」みたいになっているのですか
→旦那の年収が100万だったら主婦が働いてもOKで、1000万ならNGなのですか?生活のための労働だったらOKで、贅沢品のための労働だったらNGなのですか?
なんというか、まったく理屈が理解できないんだけれど、要は「主婦は基本家にいて子どもの面倒を見るべきだけど、経済的な事情があって仕方ないのなら私は働くのを許すわ」みたいな感じですかね。いや、ますます意味が分からない。
あなたは嫌な姑ですか?
女性であっても男性であっても、この嫌な姑タイプの考えの人はいます。
根底にあるのは、
母親は苦労してこそ。
辛くても黙って耐え抜くのが、本当の母性愛。
という体育会系の愛情論です。
彼らは苦労しても耐えてがんばった話が好きなので
出産や育児で楽した話とか、好きなものやお洒落にお金を使う主婦とか、手抜き料理とか、自己主張が強い女性とか
大嫌いです。
苦労が大きいほど、母親としての愛情も深いのだと信じています。
長時間労働と家庭内の経済状況の悪化で母親がボロボロになれば、当然子どもに悪影響がでてきますが、彼らは気にしません。
母親の苦労する後ろ姿を見て、子どもは愛情を感じ健やかに育つのだと本気で信じているのです。
子どもの目線で考えれば、ボロボロになった母親は、自分のせいだと感じます。
進学を諦め、アルバイトを始めてしまう子もいるかもしれません。社会に失望して、引きこもってしまう子もいると聞きます。
母親が不幸であることのメリットなど、なに1つないのです。
「苦労してこそ母親」
という聖母信仰は、日本社会のいたるところにはびこり、母親たちを苦しめます。
難しいのが、それが母親自身がひとつの自分の経験として発信したものならばまだいいのですが、
母親以外の立場から発信された場合「母親なのだから苦労しろ」という言葉の暴力になり得る、ということです。
例えば、絵本作家のぶみさんがNHKおかあさんといっしょの番組で作詞した「あたしおかあさんだから」の歌詞が炎上した事件。
この歌詞は、苦労する母信仰の象徴的なものです。
のぶみさんはその後懲りずに働くママを描いた絵本「はたらきママとほいくえんちゃん」を出版しており、こちらも炎上しています。
本も歌詞も、違いは専業主婦か兼業主婦かというだけで、ほとんど同じ部分で炎上しているため「学習能力がないのか?」と疑いたくなります。
絵本も読みましたが、結局は
母親の苦労や努力は素晴らしい。子どもはその背中を見て成長していくのだ。
というものです。
母親が飲食店の店員であること。子どもは寂しさを感じつつ、最終的には母親の大変さを理解して尊敬して解決すること。母親には父親ふくめ周囲の協力がなく、文句も言わず泣きながら一人で辛い日々に耐えていること。
など、聖母信仰の人たちが好きそうな設定が並んでいます。
もうね、
はっきり言っていいですかのぶみさん。
母親が我慢する時代は終わりました。
もしそんな時代がまだ続いているのなら、速攻終わらせるべきです。
そんな時代は社会の汚点でしかありません。
母親の汚点じゃないですよ。
母親のみに苦労を押し付けて成り立っている社会全体の汚点です。
絵本の母親はもっと声をあげていいと思います。
勤務先に。
なにもしてくれない夫に。
聖母と書かれた箱に入った、苦労行きのチケット。
結婚、出産しなくても生きていける時代に、だれがそんなもの買うでしょうか。
その高いチケットを買ってまで、子どもを産み育てようと思うでしょうか。
母親が楽してなにが悪い。
子どもは社会全体が面倒見ます、お金も心配しなくていいですぐらいの施策を行わなければ、この先数十年のうちに、この国の子どもはいなくなります。
私は自分の子どもたちには、将来この国に住む必要はないし、子どもを持つ必要もないと考えています。
子どもと母親に優しくないこの国に、明るい未来はないとほとんど確信しているからです。
時代錯誤な聖母信仰で母親たちを追い詰め、
声をあげれば「自己責任」論で押しつぶそうとしている人々。
彼らの声をはいはいと受け流し、
世間の声ではなく、子どもたちや夫と向き合って「自分たちにとって一番心地よい暮らし」を模索していくしなやかさが、今母親に必要なものかもしれません。