辛かった子ども時代の記憶を超えて
以前の記事で長く書きましたが。
私は兼業主婦なのに、専業主婦やパート主婦の夫婦関係がとても気になります。
それは子どもとして、亭主関白な父親と、そんな父に苦労する母を見てきたからです。
夫婦関係の記事って、こどもへの影響の部分についてほとんど言及されていないんですが
(あくまで夫婦の問題だったり、女性の立場に焦点を当てられている)
私は、こどもの目線で、この問題について考え続けてきました。
父親に殴られたり、暴言を受けたり、生活費を満足にもらえなかったりする母親を、ずっと見てきました。
どうすれば、この理不尽な連鎖から逃れ、まったく違う家族をつくることができるのか、それが私の生きる上での一つのテーマになりました。
そして私自身はかなり意識して、夫になるべき男性、そしてあるべき夫婦関係、家族について考え、形づくってきました。
自分の母親といつか同じ道を選ぶかもしれないという恐怖感から、自分で選んだ男性が失敗だった場合、離婚も考えなければならないと考えています。
子どもたちによい影響を与えない父親であるなら、離婚すべきであると思うし、そのためには経済力が必要です。
苦労してきた生い立ちから、必要以上に心配しすぎ、考えすぎているのかもしれません。
でも母親である以上、あらゆる可能性を考慮して、こどもを守ってやらなければと思います。
こどもの心に夫婦の関係が強烈な傷を残すことを、私は身をもって知っているからです。
絶対に自分のような思いをこどもたちにさせたくない。
夫婦の問題は家族全員の問題です。
見て見ぬ振り、なかった振りは許されません。
どんな親の態度が、こどもにどんな印象を与えるのか。
幸い、私は小さいときの記憶が強くあり、親のごまかしやころころ変わる態度が、子どもの目にどう映るのかはっきりと覚えています。
逆にどんなに情けない姿であっても、ダメな部分を率直に伝えてくれて、努力している親の姿は、こどもの目から見ると胸を打たれるほど、強く印象に残るのです。
多くの大人が誤解しているのではないかと思うのですが、こどもは完璧な親を望んでいるわけではありません。
親が完璧であることは、重荷でしかありません。
ただ誠実に、全力で自分と向き合ってくれること。
自分が完璧でないことを、正直に打ち明けてくれること。
それだけで、自分の親は信頼に値する人間だと、子どもは信じることができます。
逆に、世間体や見栄のための嘘やごまかしがあると本当に失望します。
それが「自分を思って」という言い訳で語られると余計に。
本当は自分のためであるのに「子どものために」という言葉を使いたがる大人たち。
なぜ、こどもの声をまったく聞こうとしないのに、親の言うことを聞かせようとするのか。
なぜハリボテの姿を、立派に見せようとするのか。
今、親の立場になり、当時嫌だと思っていた大人にだけはならないよう、日々反省しつつ過ごしています。
子どもの目線で見ると、世界は不条理なことだらけ。
その記憶は、育児をする上で、私の道しるべになっています。