「かがみの孤城」と自分のいじめ体験
さっそく読んで面白かったです。
ファンタジー要素、現実、ミステリー要素がバランスよく、ストーリーもよく練られているのでぐいぐい読めます。
いじめをテーマにした作品は多いけど、ここまでリアルに徹底的にこどもの気持ちに寄り添った作品はなかなかない、と感じました。
正直にいうと、私自身がいじめられっ子でした。
結構生粋のいじめられっ子で、幼稚園から中学校卒業まで、転校先でもいつも標的になりました。
卒業式の壇上でまで、私の大嫌いだったあだ名を一部の男子に連呼されて笑いが起きていたこと、たぶん一生忘れないと思います。
誕生日には特別な嫌がらせが待っているので、どうか誰も私の誕生日に気がつきませんように、と祈って登校したこと。
机に積まれたゴミ。
置いておくとなくなっているので、いつも外靴をもって授業を受けなければならなかったこと。
惨めで惨めで、毎日朝起きると、死にたいと思っていたこと。
大嫌いなクラスメイトたちより、いじめられている自分自身を憎んでいたこと。
そのすべてを親に伝えることはできなかったこと。
親に打ち明けるくらいなら、死んだ方がマシだと思っていたこと。
親にも殴られていて、家庭にも安息の場所がなかったこと。
いじめが止んだ高校生の頃から本格的に始まった精神的な病気。
幻聴や解離。
壮絶な幼少期と学生時代でした。
親からの虐待を受けて生き抜いたこどものことをサバイバーと呼ぶのを大人になって知り、私はサバイバーだな、と他人事のように思ったのを覚えています。
人から嫌われ、疎まれ、標的にされることに慣れすぎて、私は価値のある人間なんだ、自分の価値は自分で決めていいんだと理解するまでに、長く年月がかかりました。
そして自分と同じように、悲惨な幼少期と学生生活を送った人間の多くが、精神的に壊され、自分に自信を持てないまま、一生を棒に振るケースが多くあるのを知りました。
かがみの孤城があったなら。
世界のどこかに私だけの友達があり、世界があったなら。
だった一年であってもどんなに救われたかと思うのです。
登場人物たちが時を越えてつながることができたように、
今いじめで苦しんでいるこどもたちも、なにかとつながることができたなら。
当時は私の受けている執拗な嫌がらせが「いじめ」だと認めることすら、嫌でした。
いじめを受けた内容を大人に伝えるというのは、セカンドレイプに近いものです。
今だってギリギリ生きているのに、大人にこの窮状を伝えてどうなるのか。
大人は誰も助けてくれない、と思っていましたし、当時親や先生に言ったら、おそらく私の想像通り、いじめはさらに悪化していたと思います。
当時はフリースクールなどという選択肢もなく、いじめ問題は大した問題として認識されていませんでした。
ただ、もし大人になった私が昔の私に会えたなら、少なくとも親よりは気の利いたことを伝えられる気がするのです。
かがみの孤城は心の傷を持ったこどもたちが寄り添い、現実と向き合うまでの物語です。
そして心の傷を持ったまま大人になった多くの人に、その物語は刺さるのです。
「もしあのとき、あの頃の自分に会えたらなら」
そんなことを考えながら、辛い過去を抱えて生きている私のような大人は実は多くいて。
救えなかったあの頃の無力な小さな自分自身を、今なら助け出せるんじゃないか、
そんな考えてもどうしようもないことを思いついて、いてもたっても居られなくなって。
作者はたぶんそうやって、この物語を紡いだのだと思います。
やりきれない想いが痛いほどわかるだけに、この本は他人の物語であると同時に、自分の物語でもありました。
自分の物語のラストシーンは、自分でつくるしかありません。
かがみの孤城に出会えずに、今、苦しみの渦中にあるこども。
ハッピーエンドが見えなくて苦しんでいる、昔こどもだった大人。
苦しんでいる誰かの力になりたいと思っている人。
そのすべてに、この物語を体験して欲しいと思います。
暗闇を抜け出した先の人生は、捨てたものじゃない。
私はそう信じています。