仕事と育児。おまけに投資、始めます。

フルタイムワーキングマザーの忘備録。投資初心者です。

昔東雲に住んでた私が思う、キャナリーゼの話。

最近、キャナリーゼという言葉を知りまして。

ざっくり言えば、豊洲タワーマンションなどに住んでいるおしゃれでお金持ちの奥さまのことらしいです。

 

豊洲に住んでいるわけでもなければ、おしゃれでもない私からすれば別世界の話ではあるんですが、なんだか気になる。

 

どうして気になるのかと考えてみたんですが、一時期私が東雲の某デザイナーズ団地に住んでいたここと関係しているのかもしれません。

 

いや、東雲と豊洲は近いけど全然違うよと住んでいる人から言われたらそうかもしれませんが、臨海の埋め立て地が持つ雰囲気や新築の大きなマンションが持つ雰囲気はかなり近いものがあると思います。

 

住んでいたのはたった3ヶ月。

開放的な土地の雰囲気や、広がる海や空は大好きで、週末は自転車でお台場や夢の島あたりを走っていました。

 

広い部屋やおしゃれな団地の外観。

買い物も便利で、公園も近いし最高だと思う反面、どうしても自分には合わないという思いが日増しに強くなって、数ヶ月で引っ越ししてしまいました。

 

見上げると、白く真新しい巨大な建物に並ぶ無数の窓。

下に広がるのは埋め立て地で、昔の地図には存在していない土地。

整然と並んだ木々は、どこからか運ばれて植えられたもの。

 

そのどれにも時間の厚みがなくて。

人間が素晴らしいと思うものだけを集めたバーチャル空間のような。

巨大な力でどこからか集められ、整然と並べられて。

それは土地も建物も緑も自分も一緒なのではないかという、違和感がどうしても消えず。

 

なんだか、自分がフワフワと実態のない記号になったような気持ちで闇に浮かぶいくつもの窓の明かりを見ていました。

 

なんだか怖くて怖くて、でもそれがうまく説明する手段がなくて。

自分がペシャンコにされて生き物ではなくただの記号になり、積み木の家のなかに置かれているような、強烈な違和感。

 

キャナリーゼという言葉を知ったとき、思い出したのはこの違和感です。

 

キャナリーゼは息苦しさを感じないのだろうか。

自分が自分でなく、キャナリーゼという記号になり、おしゃれな服を着ておしゃれな店でママたちとインスタ映えする料理を食べ、こどもたちにはみんなが同じような服を着せて同じような習い事をさせ、同じような進路を選ばせる。

想像しただけで、心がザワザワして落ち着かないです。

 

私の感覚がおかしいのかもしれません。

素敵な暮らしのキャナリーゼを羨ましく思う一方で、私にはそんな暮らしは合わないということもよくわかるのです。

ヒーヒー言いながら働いて、昔からあるスーパーで買い物をし、おしゃれでもないアパートで狭いと言いながらみんなで暮らし、私の父が小さい時から遊んでいた川や公園でこどもを遊ばせる。

 

水辺には鷺やカワセミが飛び廻り、茂みではこどもたちが自由に基地をつくったり木の実を拾っている。

そんな今の暮らしの方が、自分には合っているようです。

 

今の収入や資産があれば、キャナリーゼになることだってできそうなのに、なぜ私はこの暮らしを選んでいるのだろう?

と自分に問いかけてみると、自分に合っているのはこっちだよ、身の丈に合わない暮らしをしても辛いだけだよ、と心の声が聞こえてくるようです。

 

本当に自分の人生に必要なものはなんなのか。

しっかり考えていきたいです。